地図作成のプロ・国土地理院が見逃した弥生集落
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よく知られているように、日本で現在提供されているすべての地図の基礎となる地図は国土交通省の機関である国土地理院によって作成されている。同院の起源は明治2年(1869年)に民部官に設置された庶務司戸籍地図掛。その後内務省地理局、参謀本部陸地測量部、内務省地理調査所などを経て、昭和35年(1960年)に現在の名称に改称された(国土地理院のHPより)。

弥生集落は国土地理院の地図になかった

そんな地図作成のプロ中のプロである国土地理院が見逃していた集落がかつてあった。福島県西会津町の弥生集落である。飯豊連峰のふもとにある同集落は1946年に入植者によって誕生したが、その存在は70年代になるまで国土地理院の地図に記されなかった。

そんな弥生集落を"発見"したのは、中里介山の研究家として知られる柞木田龍善氏。1972(昭和47)年4月16日付朝日新聞で、山岳仏教取材の過程で偶然、弥生集落の存在を知った柞木田氏は次のように述べている。

「驚きましたね。国土地理院五万分の一地図をいくら捜しても、ない。へき地で、地図にあった部落が消えることはある。過疎化現象でね。しかし、こんな立派な部落がのっていないのは初めてだ」。

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弥生集落は過疎化が進んで対策を模索

また、同記事では「例のないことで驚いています。近く印刷する『大日獄』では、修正して必ずのせる」と当時の国土地理院の企画室長の話も紹介されている。

"発見"された当時、弥生集落には13戸、79人が住んでいた。現在、弥生集落は過疎化が進んでおり、その対策を模索しているようだ。"地図にのらなかった村"とあえてアピールして、観光につなげるのも一つの手ではなかろうか。

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